今ここで灯火が

今日お客様とお話ししていて

海外にいる時の自分が好きだと話していた。

日本は安全で言葉も通じる
その安心感が当たり前になるけど

海外にいると
言葉も常識も通じない
なのにワクワクして生きてると実感すると


これを聞いてる時私はイライラしていた。


日本と海外を比較しなくてもいいのに〜

という理由で
イラついてたのかなと思ったけど

こういう時はいつも答えは違くて


私は何してんだと悔やむイラつきなんだと
思う

この人は生きている 実感してる

私はどうだろうか

自分の中だけで考えても

生きてないな


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昨日元大阪府知事の橋本徹さんと
私学助成予算の大幅削減について
高校生が訴えてる記事をよんだ

『家は裕福ではない、減らさないでくれ』

『日本は自己責任が原則、それが嫌ならあなたが政治家になり国を変えるか、日本から出て行くかない』

『なぜ公立に入る努力をしなかった?見てもらえるのは義務教育までだよ』


記事のコメント欄には
府知事の言う通りとかかれたコメントがずらっと並んでいた。

コメントした者は高校生と同じ立場になったとき、同じセリフを言えるのだろうか

なぜ高校生は守られるのは当然と言い放ったのだろうか

府知事は自分の言葉に何を込めた?

記事もコメントも
大抵どちらかの視点
もしくは客観的のみの視点が多く

そのままでは
交わる事はないな

もしそれが

どちらの視点にもなれて
どの視点にもならない選択があるとなったら?

きっとこの問題の答え以上のものが出るんだろう

世界の広さを決めるのはいつも自分だ



これからの生き方探し

maikaと申します。 自分は必要とされてない。 あの人みたいに生きたいのに。 本当にしたかった事はもう今は分からなくなったとき、今までと違う見方をしてみる。 生き方を改革する、そんな話を 私の成長とともに見て頂けたら。そんなお話です。

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